そんな中で残念な事もありました。それは、長年共に頑張ってきた従業員の内の数人が弊社を去って行ったことです。 私には、それを止める事は出来ませんでした。 いつ復興出来るのか見通しも立たず、はたまたその存続さえも約束できない弊社に、彼等の人生を強制する訳には行かないからです。
人員の減った弊社でしたが、この非常事態を残った従業員達と何とか切り抜け、僅かな光明を見い出すことが出来たのは水害から数週間経ってからでした。
その頃、地域の方々で結成された水害訴訟団に加わろうかとも考えた事もありましたが、私としては、多大な御迷惑をお掛けしたお客様方、様々な御協力を頂いた関連業者の皆様方の為にも、そのエネルギーを全て会社復興のために注ぐべきだと判断して、水害訴訟団への加入を断念致しました。
「立ち上がろう! 仕事を辞めてたまるか!」
を合言葉に、御近所の中小企業者の皆さんと毎日励まし合う日々でした。それまで一言も話したことのない人々が、互いに近しく相談し合い、エールを送り合ったのです。
近所の喫茶店では、1日も早く災害前と同じように美味しいコーヒーを飲ませて欲しいと、常連の方々がボランティアで店内の泥除け掃除の手伝いをしたりしてました。近隣地域の連帯感をひしひしと感じる日々でした。
人の優しさ温かさに包まれて復興に向けて頑張ってきた弊社にも、避けようのない重大な課題が残っていました。復興のための資金です。この時点で既に膨大な資金を費やしながらも、収入の方は依然としてゼロのまま。
さらに当然の事乍ら、残ってくれた従業員に給料を支払わなければならない。お金は、毎日毎日出て行く一方でした。
激甚災害に指定されたおかげで公的機関からの融資が受けられることになりましたが、内情は利子補給程度にしかならず、元金については運転資金5年、設備投資7年という返済条件でした。
融資を受けた限り、当然返済しなければならないのです。昨今の不景気ですし、この先もどう変化するか読めない状態です。何とか融資を受けずに自前の資金のやりくりで危機を乗り越えられれば、今後のためにもその方が良いに決まっています。色々と悩みましたが、災害によって生じた損害を従業員と一緒に頑張って自力で取り戻すことにしました。
あの水害を乗り越え現在に至る事が出来た弊社を支えたのが、私個人の力だけでは無い事は云うまでもありません。
お客様を始めとして、関連業者の皆様、御近所の方々、そして耐えてくれた従業員のみんな・・・
私を囲む様々な方々に支えられ、励まされて来たのです。
人の縁に恵まれるとは何と有難いことかと、唯々頭を垂れるだけです。
災害は自然が生み出し人々の生活を苦しめるものですが、その後の復興は、人々の善意が強く組み上がって初めて成就し得るものではないでしょうか。
2004年は多発した台風による各地の水害、中越大地震など悲しい記憶を残す災害が非常に目立った年でありました。
市民の皆様が懸命に頑張っておられる姿をメディア等を通じて拝見致しますと、「頑張って下さい」という言葉を容易に使うことは私には出来ません。私個人は無論のこと、弊社にとりましても、単なる映像として他人事のように片付けることなどとても出来ないからです。
最後に、公共団体の方や企業の方々、そして市民の皆様、人が本来持つ温かさだけはどうか忘れないでいて下さい。 そして、くれぐれもお体を大切になさって下さい。
各被災者の皆様の復興を祈念して。 |